映る

 金細工を思わせる、煌めく金髪が脇を通り過ぎる。
 思わず振り向くと、長い睫毛に縁取られた目がこちらを見ていた。琥珀色の瞳はとろみを帯びており、蜂蜜を固めた飴玉のよう。唇はふっくらとしていながらも、端は引き締められ、柔らかな曲線を描く。手入れされた薄桃色の爪は、しなやかな指に添えられ整然と並んでいる。色白の肌にそれらの色はよく映えていて、あたしはつい見とれてしまった。可愛さと美しさを併せ持った女性だった。彼女はレースをたっぷりとあしらった、傘のようにふんわりと広がるスカートのドレスを着ていて、パステルカラーのリボンが胸元で揺れる。

 脇には旦那さんだと思われる男性が立っている。綺麗に整えられた金髪に、海をすくい取ったかのような瑠璃色の瞳。鼻は高く、体格はしっかりとしている。ボタンの沢山付いた上着を羽織り、さながら王族の出で立ちだった。白手袋をはめた大きな手が、彼女の小さな手と対照的だと思った。

 2人は顔を見合わせ、穏やかな笑みを形作る。こちらに会釈をしてきたので、慌ててお辞儀をする。
 足元の薄黄色い床に、ぼんやりと映った自分の姿が見え、ふと思い当たる事に気付く。移した行動に対して後悔の波が押し寄せて来る。覚悟を決め、一呼吸置いた後勢いよく顔を上げると、そこに居たはずの2人は居なくなっていた。

 辺りを見回しても見つからない。そうしている間にぼやけた輪郭が像を結び、見慣れた風景が姿を現わしていく。無音だった世界に聞きなれた音達が次第に近づいてきて、現実へと引き戻される。病室から聞こえる声、足音、車椅子を引く音。

 「有紗ちゃん、どうしたの?」

 不意に声をかけられる。側にやって来ていた看護師さんの問いかけで、ようやく我に返った。どうやら廊下の真ん中で立ち尽くしていた様だった。数人の患者が訝しげな表情でこちらを見ている。ひそひそと何か囁いている声もした。いえ、何でもないです、と作り笑いを浮かべ、足早にその場を立ち去る。

 看護師さんの心配そうな視線が背中にちくちくと刺さる。スリッパの擦る音がやけに響いて聞こえ、急いで病室まで戻り乱暴にカーテンを閉める。自身のベッドに潜り込み、ついでに布団を頭まで被る。音は遠のいて、静かな薄闇が身を包む。また、やってしまった。怒りが段々とやるせない気持ちへと変化していく。 長く息を吐き、気持ちを落ち着かせようと試みるが、先程の状況を思い返すと涙が滲み出てきた。

 恐らく、あたしは、独りで誰も居ない所に向かってお辞儀をしていたのだろう。
 認めたくはなかったが、周囲の反応を見る限り、微笑ましい2人なんてあの場所には居なかった。病院の廊下に豪華な出で立ちの男女がいる状態は、幾ら何でも不自然だ、その事に気付けず一人芝居をしてしまった自分自身が腹立たしい。忘れようとしても、2人の笑顔が頭に焼きついて離れない。どうしてか、小さい頃に思い描いたお姫様の姿に彼女は良く似ていた。脇にいた男性も、児童書で見た王子様さながらだった。

 架空の人物が目の前に現れては消える。この現象にあたしは、誰を恨めば良いのかも分からなかった。

 しばらくして、病室のドアがそろそろと開けられる音がした。控えめな足音と共に、あたしの居るベッドまでやって来て、脇にある簡素な椅子に腰掛ける。きい、と軋む音が鳴る。看護師さんかと思い放っておいたが、声も出さないため、辛抱できず自分から布団を退ける。

 その子は、窓の外に広がる景色をじっと見つめていた。おさげにしている紫がかった黒髪が、外から吹き込む僅かな風に揺れている。日の光が床に四角い形を落とし、木漏れ日がちらちらと足先を照らす。こちらが起き上がった事に気付き、一瞥するものの、何も言わずに視線を戻す。
「ねえ」
「……なに」
「あんた、何か用があって来たんじゃないの」
「べつに……何も、ないよ」

 顔を合わせないまま繋げる、途切れ途切れの言葉。

 この子、藤沢はいつもこんな調子だ。ふらりと現れたかと思えば、忽然と姿を消したりする。話しかけても相手と視線は合わせないし、会話は続かない。何もないと言われ、それ以上の質問を重ねる事もバカらしくなって、再び布団を被る。その内飽きたら出て行くだろう。藤沢は持ち歩いている本を読み始めた様で、時たまページを捲る音が微かに聞こえてくる。
 何も聞いて来ないのは、先程の騒動を知らないのか、興味が無いだけなのか。意思表示が乏しいから分からない。

 けれど今だけは、普段と変わらないこの沈黙に、少しだけ救われた様な気がした。

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