境遇

 「貴方と同じ夢を見る人がいる」

 昔からの知り合いは、何でもないような顔をしてそう言った。

 そんな話がある訳がないと思った。数年間生きてきて、似た類の話を聞いた事はあったが、調べてみると都市伝説だった、なんて事は腐るほどあった。体験したという人に喜んで会ってみれば、ただの物好きな奴で、呼び出された先では好奇の目で見られた。
 何度期待を裏切られたかは数えたくもない。だからもう同じ境遇の人はいないと信じる事にしていた。
 だけどあいつはいつものように、足を組んで座り、何が嘘で、何が本当かが分からない口調と面持ちでさらりと言った。普段はくるくると表情が変わるくせに、こちらが身構えて聞く話の時は考えが読み取れない所があった。あいつの言う事は常に冗談と事実が混ざり合っているから、すぐには信じられなかった。
 けれど今回は一方的に、とつとつと物事を伝えてきた。ほとんど間は置かれず、返答は許されなかった。問い詰めようといくつかの質問をしたが、微笑を浮かべるだけで、確かな答えは返ってこなかった。自分が溜め息をつき、俯いた顔を上げた時には、忽然と姿を消していた。自分だけ残された真っ白な部屋で、考え直す。
 
 そうして、今回は信じてみる事にした。
 ただの、気まぐれだった。
 コンビニで、今日はちょっと違う飲み物にしてみようと、何気なく手に取るのと同じような感覚だ。
 繰り返し見てきた手順に則っていたため、何が起きるかは分かっていた。特に難しいことではないと予測がついたせいもあり、その場所へ行くことに躊躇いはなかった。久しぶりに見た白くて四角い街並みを記憶に留め、作り物ではない、実在する店へと足を運ぶ。

 その時から、自分は淡い期待をしていたのかもしれない。

***

 「いらっしゃいませー!」

 私はできるだけ、大きく元気な声を出す。
 私が勤めているのは、住宅地と駅前の合間にある小さなコンビニだが、割と繁盛している。朝は通勤途中のサラリーマンが多く立ち寄るが、大学に向かう道のりの途中にあるからか大学生や高校生も多い。駅の反対側の出口には新しいコンビニができたが、こちら側にはなく、常連さんのおばあちゃん曰く「とりあえずこの店にくれば困らない」らしい。食品、日用品、雑貨、結構色々な種類の商品が置いてある。駅から比較的近いとされるスーパーまでは少し距離があり、駅の中にはあまり食料品を扱う店はない。そんなわけで、地元の人たちにはそこそこ有り難いと思われている地元密着型コンビニで、私はアルバイトとして働いている。

 その日、私は朝からの勤務で、裏で商品の在庫を確認したり、レジに立ったりとお店の中を行き来していた。通勤ラッシュの時間帯が過ぎると、お客さんの出入りが少し落ち着く。顔見知りの、小さな子どもを連れたお母さんや、おじいちゃんおばあちゃんがやって来ては少し雑談をして、お菓子や果物を買って帰っていく。そうしたのんびりとした時間が流れ始めるころに、若い男性がひとり、店にやって来た。

 その人は、明るい金髪のボブカットに、赤縁眼鏡をかけていた。それだけでも目立つが、白地に水玉柄のシャツを着て、サスペンダーを付け、ビビッドな色合いのリュックを背負っていた。都会人のように、せかせかとした様子で店内を歩き始めた。渋谷とか原宿を歩いてそうな人だなと思った。
 その人は紙パック飲料とパンのコーナーを回り、私のいるレジへとやって来た。商品を選ぶのに時間はかからず、すぐにレジへと向かってきたように感じた。
 男性から渡されたのは、カフェオレとチョコクロワッサン。どちらも甘そう。慣れた手つきで袋の裏のバーコードを読み込ませ、ビニール袋に商品を入れる。金額を伝え、いつものようにお釣りとレシートを渡そうと、男性の顔を見たところでーーー思いがけないことを言われた。

 「今すぐ、店奥に向かって逃げろ」

 「え?」
 私はつい、手が止まってしまった。

 「数十秒後に、乗用車が店に突っ込んでくる」
 相手の表情は殆ど変わらない。
 店の外を指差してその人は言う。

 まるで世間話をするかのような口調だった。驚きとか、恐れとか、そういった感情は乗せられておらず、ただただ棒読みで内容を伝えられた。

 この人は何を言っているのか。理解が追いつかない。
 あまりにもさらりと言うものだから、聞き間違えたのかと思った程、自然にその言葉は流れた。

 けれどこれに似た状況は前にもあったと、止まりかける思考を巡らせて思い出す。
 駅前の喫茶店で、初対面の、見慣れない格好の人に言われた言葉。妙な胸騒ぎがしたこと。雨の中歩いたこと。そして後に起こった出来事。忘れることなんて簡単には出来なかった。唐突に告げられる事象に、迷う暇はないと分かっていた。
 頭の中の考え、感情の整理はつかないまま、足は動き出していた。
 咄嗟に店の奥へ走り出した、その数秒後ーー店前の場所に駐車しようとしていた軽自動車がーバック走行のまま、店のドアを破り、突っ込んできた。

 瞬間、衝撃が耳を刺した。

 ガラスの割れる高い音と、車のブレーキ、エンジン音、棚の倒れる音が、立て続けに辺りに響いた。出入り口とは反対側にある壁に、勢い良く手をついて振り返った時には、それらの事が終わったあとだった。
 店の出入り口付近は悲惨な状態だった。ドアは見る影もなく潰れ、雑誌や商品は床に散乱していた。見慣れた風景が一瞬で変わってしまった。
 呆然とした様子で店内の光景を見ていたが、ふと我に帰る。居合わせたお客さんは皆呆気にとられていて、動けなくなっていた。尻もちをついて、その場にへたり込んでいる人もいる。急いでぐしゃぐしゃになった窓側の列に、巻き込まれた人は居なかったか見回してみる。幸い、お客さんは店奥にいて大丈夫だったようだ。
 そういえば、さっきの人は、と思い見回してみると、平然とした様子で、離れた安全な場所にいた。辺りを確認する私を尻目に、その間をするすると歩いて、例の人は壊れた窓枠に手を掛けて、店の外に出ようとしていた。
 「ねえ、待って!」
 私は引き止めた。前回のように分からないまま事が運び、置き去りにされるのが嫌だったからだ。
 男性は立ち止まり、振り返って私を見る。ふわりと金色の髪が揺れる。赤縁眼鏡の奥の、焦げ茶色の瞳は平然とした様子で私を見返した。
 「あなた、名前は」
 咄嗟に出た言葉はそれだった。
 何故突然現れたのか、どうして起こる事を知っていたのか、と聞きたい事は沢山あった。
 けれど、私は、まずこの人がどういう人なのかが知りたかった。が、
 「言いたくない」
 「え、」
 「だって言う必要ないだろ」
 あっさりと話しかけた言葉を払いのけられ、次に放つ言葉が思いつかない。
 その人は車と壊れたドアの隙間から、器用に抜けて出て行ってしまった。

 後には、唖然とした様子で立ち尽くした私と、お客さん達が残された。数秒後に、店長が慌ててやって来た。

 彼の名前は、思いもよらないところから情報を得ることになった。

***

 見知った街、ただし水浸しの街。

 例の喫茶店に向かう。最初に行ってから何度か訪れてみているが、今日会えるかは確証がなかった。
 街を覆う水圧で、喫茶店のドアが開かないのではと思ったが、杞憂に終わった。扉は一段高くなった階段の上にあった。水が覆うことを知っていたかのように思えた。金色のノブを回し、扉を開ける。軽やかなベルの音が出迎えるが、人の声はしない。前からそうだったかは覚えていない。
 橙色の照明と、木のつややかな色、立ち込める珈琲の香り。店内を見回してみる。
 すると、果たして、その人は居た。
 「あ、お久しぶりですね」
 細長いグラスに差された真っ黒なストローを回しながら、*は私を見つけるとそう言った。随分とのんびりとした様子だ。私はずかずかと歩み寄り、問い詰める覚悟で隣に立つ。
 「あなた、この前はどういうつもりだったの」
 半ば不審に思いながら話しかける。
 *は、はて、と首を傾げる。
 「あの言葉の通りでしかありませんが、何かお気に召さなかったでしょうか?」
 きょとんとした顔と物言いで返されたため、思わず頭に血が上ってしまう。
 手のひらで、机を思い切り叩いて言う。
 「大ありよ、トラックが突っ込んでくるだなんて、思いもしないじゃない!」
 結構大きな音がしたと思ったが、*の様子は変わらなかった。ストローを回す手を止め、こちらを一瞥する。目を細め、諭すように私に言う。
 「しかし、あのままあそこに居たら、弟さんは助からなかったでしょう」
 私はぐっと押し黙る。
 勢い良く叩きつけた手のひらに、じんわりと痛みが広がっていく。
 「正直に申しますと、死ぬ、と言ったのは行き過ぎた表現でした。その点につきましてはお詫び致します。ですが、内容を少々強い語気でお伝えした方が、気になって行動に移すのでは、と思いましてね」
 確かに*が姿を消した後、言われた言葉が気にかかって、早々に店を出ていたのだ。翔太があの道を通りかかる時に鉢合わせていなかったら、恐らく事故に遭っていただろう。
 そう考えると寒気がして、上手く反論は出来なかった。

 店内に沈黙が訪れる。

 かちかちと柱時計の音だけが鳴っている。店の外からは何の音もしない。この店には2人の他に生きているものの気配がしない。
 けれど床板は綺麗に磨き上げられていて、照明の笠にも埃はひとつも見当たらない。整えられた空間に漂う、あたたかな温度が、抜け落ちたものを際立たせていた。

 *はアイスコーヒーを一口飲む。
 溶けかけた透明な氷が傾いて、からん、と軽やかな音を立てる。

 「まあ、それは置いておきましょう」
 どうぞ、と手振りのみで着席を促される。白っぽい指先に黒い爪が目立つ。渋々、私は*の隣の席につく。
 「そういえば貴方、他に私に聞きたい事があるのでは?」
 さも待っていたかのような口振りだった。
 質問を聞いて、思考を巡らせる。何故か真っ先に出てきたのは、今日の午前中に会った金髪ボブの赤眼鏡をかけた人の事だった。
 「そういえば、……あなたと似たような事を言った人がいた」
 半ば疑いの視線を向けながら言う。
 *は私に体ごと向き直る。縦縞の入った黒いベストの内側ポケットから、手のひらサイズくらいの四角くて白い紙切れを取り出して言う。
 「もしかして、こういった格好の人でしょうか」
 見せられたのは一枚の写真だった。
 そこには3人の男女が写っていた。のっぽな人と、小さな人と、中くらいの人。見事に身長がばらばらだ。皆、歳は大学生くらいだろうか。何処かの校舎の前で撮ったもののようだ。2人はカメラ目線で笑っているが、真ん中に立つ人だけがむすっとした無愛想な顔でいた。
 その人に、私は見覚えがあった。まさしく、店で見かけた男性だった。すぐさま私は問いかける。
 「知っているんですか」
 「ええ、まあ」
 曖昧な返答と微笑。細められた目を見つめ返すも、この間のような迷いは全く見られず、動じる気配はない。不明瞭な答えにかかった靄を取り払うため、私は質問を重ねる。
 「名前、教えてくれますか?」
 なぜ? と*は短く返す。試されている気がすると、頭の片隅では思いながら言葉を返す。
 「あの時買おうとしてた商品、まだ渡せてないから」

 ただの理由付けだった。本当は、あの人がどういう人なのか、知りたかった。
 そして、一言くらい、文句を言ってやりたかった。

 ふ、とため息を漏らして*は言う。観念したように振舞っていたが、実のところは違うような気がした。
 「彼は、上町直寛と言います」
 かみまちなおひろ、と反復する。

 丸みのある読みの名前なのに、人に対する態度と似合わないな、と思った。

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