食卓と信頼(後編)

「嫌です」
 何か察知したのか、電話が繋がって開口一番、上町は言葉を投げつけてきた。
 薄曇りの午前中。弱々しい日が窓から差し込み、視界の端で庭の洗濯物がゆるりとはためく。
 私は誰もいない家の中で、ソファーに座りながら声を荒げる。
「まだ何も言ってないんだけど!」
「協力してほしい、とまた言うんでしょう」
 ぐ、と私は押し黙ってしまう。図星だ。時折、風の吹きつける音が電話口から聞こえる。上町は今は外にいるらしかった。周りの人の話し声が、聞こえては遠ざかる。どこかの街中だろうか。信号機の歩行者用メロディーが微かに流れる。私はスマートフォンをもう片方の手に持ち替えて、気を取り直す。気になっていたことを質問でぶつけてみる。
「この間、翔太が迷子になった時。場所の特徴を色々教えてくれたでしょう。どれも当たってた」
「それが?」
「どうしてそんな細かい所まで、夢の中の事を覚えているのか、ちょっと疑問なのよ。私は大抵目覚めたら忘れてるわ。覚えてるのは衝撃的に感じたところだけ。事故とか事件だと、その人が傷付く場面だけ……。けれど上町は正確に教えてくれた。記憶力がいいだけか、もしくは、そうして覚えておこうとした事が、今までにあるんじゃないかと思うの」
「前者ですね」
「記憶力がいい?」
「そういうことですね」
 ぶっきらぼうな返答、自分の事を他人事のように話す。取り合おうとしていないことが分かりやすい。私は畳みかける。
「この様子だと、きっと後者ね。私と同じように、誰かを助けようとしてた事があるってことよね?」
「一緒にしないで貰えますか」
 いらついた声。いや、大抵そうだけれども。

 今日の朝に見た夢。
 翔太の時や紀国ちゃんのように、具体的な事故や事件の一部が見られた訳ではなかった。佐藤さんの時のように、「何かが本人に起こる」という曖昧な情報しかない。水没した病室で、やけに青い空を背にして笑いかけた高梨さん。病院も見覚えのない所だ。そもそも、昨日元気な様子だった高梨さんが、病室にいる時点で「何か」が終わった後の場面である可能性が高い。終えた後の状況を「見た」所でなんにもならない。私の心をざわつかせる効果しかなさそうだった。手掛かりはほぼないと言えた。でも、それでも。私は放っておくことは出来なかった。身近な人に何かが起こるかもしれないと思うと、いてもたってもいられなかった。この一端を理解してくれる人が居るとしたら、と考えた所で、私は電話をかけていた。

「お願い」
 はあ、と露骨に大きいため息を上町はつく。
「自分も、暇じゃないんですが。そもそも、今回はどんな事が起こるか知ってるんですか?」
「……知らないわ」
「じゃあどう動くつもりですか?何も分からない状態じゃ、対策のしようがない。いつ起きるかも問題ですよ」
 上町の言うことは正論だ。結果が見えていて、具体的な策が建てられるならまだしも、何が起こるかはまるで見当が付いていない。私は唇を噛む。

 諦めろ。

 そう言われているような気がする。
「対策は、これから考えるわ。バイト先の上司の高梨さんが、事故に遭う。夢で、見たの。けれどどんな事故で、いつ、何処で遭うのかは分からない」
「他に手掛かりは?」
「後は……思いつかないわ。身体のどの部分を怪我していたかすらも記憶が曖昧だし…居た病院の名前も分からない。真っ青な空が印象的だったくらい」
「あの。失礼ですが、情報が足りなさすぎます。今回は協力出来ない」
「待ってよ」
「じゃあ、家の前にでもずっと張ってるつもりですか?」
 聞く耳を持たない上町に、私は少し苛立つ。
「分かったわよ!今回は、私一人で動く」
 つい、そう言ってしまった。雑踏が電話口から鳴る。今まで話の中でずっと聞こえていたのに、急に表に出てきた。
 何も返事はない。多分了解したという事だと思う。話を切られる前に、滑り込ませるように投げかける。
「最後に、ひとつだけ。上町は、何か気になる夢は見てない?」
 一瞬の間。
「見てない」
 通話は切られた。

 頼みの綱を失って、私はスマートフォンを持った手を力なく降ろす。勢いよくクッションに着地して、手がわずかに弾む。途方に暮れ、あー、と意味のない声を上げながらソファーの背もたれに寄りかかる。柔らかな感触に少しだけ安心する。穏やかな陽気の中、レースのカーテンが吹き込む風にふわりと揺れる。
「どうするかなあ…」
 薄明るいクリーム色の天井に向かって、ぽつり、ひとり言を呟く。

 数回の瞬き、その後に。

「知りたいですか?」

 中性的な声が答える。
 私は反射的に身体を起こす。あまり広くはないリビングを見回す。
 どこかで聞いたことのある声。
 疑問が沸き起こる中、食卓の前に立つ声の主を見つける。
 すらりと立つ、姿勢の良い青年。
「お久しぶりです」
 *は丁寧にお辞儀をして、そう言った。

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